PIANO
2015/03/17 20:07
新しいピアノがやってきました。
前のピアノとは性格の違うタッチなので、自分の思った音が出せるのかどうかとても不安だったのですが、いまご機嫌うかがいをしているところです。なんとかうまく付き合っていけそう。
もともとアップライトを弾いていたわけではないので電子ピアノに慣れてはいるのですが、ただ、
前のピアノが木製鍵盤だったのに対してこちらはグレードハンマーなので、鍵盤に指が吸い取られるというか、粘りつく感じがあります。とまどいはありますが、そこもじき慣れるかと思います。
さっそく練習開始。
私のピアノはもちろん趣味で弾いているに過ぎず、どこかのコンクールに出たいとか、誰かの前で演奏したいとか思っているわけではありません。
しかし多くのスポーツや芸術に言えるように、ピアノも同じく1日弾かないだけで感覚がすぐに後退します。そしてそれを取り戻すことは1日では困難です。
昨年は基礎に返って自分の指の癖を叩き直したかったので、その癖が浮かび上がりやすいスローな曲ばかり極めていましたが、今は何日もピアノがある当たり前の生活を奪われていたせいでキックパンチな曲が弾きたい気分。
曲は無限に待っていて、それがこの上ない幸せです。ゆっくり探します。
このピアノで最初に弾いたのは、ショパンのワルツ14番。
この曲は子供の時の発表会の課題曲で、弾き切る事だけが肝心だったので当時はあまりいい思い出もなく、メロディーを楽しめる心の余裕もなく、そしてショパンを理解できるほど大人でもありませんでした。でも、昔の曲を引っ張り出して弾いてみるのも懐かしくて発見がたくさんありました。
ピアノの前に座っている時間が一番自分らしい気がします。
私は何年もずっと、複雑な悩みの中にいます。具体的でもないし、言葉には言い表せないし、振り切れません。
この年齢特有と言われたらそれまででしょうが、悩みは音にも如実に表れてきます。まるでうつし鏡のよう、びっくりするほど素直です。
でも、こんな話があります。大戦あたり、亡命が盛んだった時代に多くの音楽家や演奏者が祖国を捨てて自由を求めました。自分の分身である楽器を国に置いて命がけで亡命した音楽家もいます。しかし彼らの音楽は、押しなべて亡命後より亡命前のほうが評価が高いという皮肉な事実です。
抑圧された環境から、苦しみ、紡ぎだされる鬼気迫る音にはきっと巨大な説得力があるのです。
亡命した音楽家と、今の自分とを比べるのはあまりに筋違いですが、しかし、音楽は感情なしには生まれないものです。薄暗闇から漏れ出るこの音も私そのものなのだと、最近ようやく気づくことができました。
私はピアノを弾くときいつもペダルを裸足で踏みます。
これは、子供のころから右足の癖で、なにかを履いてペダルを踏んでいると足が外側にずれて踏み外してしまうので、先生に靴下も全部脱ぎなさいと言われてレッスン中ずっと裸足で弾いたことに由来があります。なんて出来の悪い生徒だったんだろう…(笑)なのでいまでも靴を履くと違和感があり、真冬でも裸足です。
でも、プロのピアニストに裸足で弾く人が多いことを知りました。アリス=紗良・オット(Alice Sara Ott)は暑いステージでひんやりとしたペダルが心地よいのと、足がつかえるので(彼女は足が長い、膝が鍵盤下につかえる)裸足だと言っています。そしてフジコ・ヘミング(Ingrid fuzjko hemming)もインタビューで「足の裏は脳とつながっているのでステージ本番前に必ず歩く」と言っています。おもしろいですね。
今日はほんとうに暖かくて、Twitterで思わず春が来たとつぶやいてしまいました。
もう裸足で弾いても気持ちいい季節の到来。春の風や匂いを楽しんで思う存分弾こうと思います。