たゆたう時間たち

2015/08/13 21:38


たゆたうというのは、漢字で書くと「揺蕩う」だそうです。


夏のめまぐるしい忙しさの中に、ぽっかりとお盆の休暇ができたりすると急に時間の流れが遅まって、そんな不慣れな時間の中にたゆたってしまいます。


今日は13日なので、家族揃って1年に一度のお墓参りへ行きました。帰省ラッシュで詰まっている下り車線を横目で見ながら、高速をすいすい走って祖父母の家まで。



今はもう誰もいない祖父母の家には父がたまに訪れて管理をしているのですが、父はここ最近この無人の家に小さな畑を作って毎夏枝豆やミニトマトを植えるのがブームらしく、収穫しては実家に持って帰ってきます。父が作った枝豆は家族で「パパ豆」と呼んでいます。パパが作った豆なので、パパ豆。トマトはパパトマ。



今日、祖父母の家に到着するとその「パパ豆」をなにかが食い散らかした形跡がありました。と思った瞬間、畑から動物が飛び出してきました。目にも留まらぬ速さで真正面の山へ駆けていったので、車から降りたばかりの私たちは目が点になって立ち尽くしてしまいました。


まさに脱兎のごとく逃げていったそれは、茶色くて小さな野ウサギでした。サギや鴨、タヌキはよく見るけれど(よく見るのもどうかと思うけれど、祖父母の家は田舎にあるのです)、野ウサギはさすがに珍しくて、皆でびっくりしました。父が作った枝豆、口に合ったのでしょうか。



そんな小さな騒ぎがあり、お墓参りも無事に済ませて、ふと祖母のピアノを開けてみました。
お墓参りは、なんとなく形式張っているものなので心がこもらないように感じるのですが、私は祖母のピアノに触れる時間のほうが、亡き祖父母にずっと近しく挨拶できるような気がしています。




ここ数年、お盆のお墓参りにはこのピアノを弾いてあげるのが習慣になっています。

調律はどんどんひどくなっているけれど、このピアノの前に座ると、色々なことが思い出されます。
小さいころに祖母と弾き合いや連弾をした事、必ず出してくれた宝石のような上生菓子から一つだけを選ぶのがいつも悩ましかったこと、無口な祖父が少し近づきがたかったことや、祖父母の家を訪れると必ず帰り際に玄関先で集合写真を撮った事など。


お盆も良いものですね。

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